もちろん、数学の「集合」ではない。もう中学数学ではやらなくなったけどね。

大学卒業後しばらくして、一緒に戦った関大や立命の同学年の面々と飲んだことがある。昔話に花が咲いた。
その時に出た言葉、「集合」。
下級生の時によく上級生(この場合は3年生)から「集合」をかけられた、なんていう話が出た。
「集合!って声をかけられた瞬間にすご~くイヤな雰囲気になって、ああ、また地獄の時間が始まる…なんて思ってたよなぁ…」
「いやあ、上級生になって、あいつとあいつはほぼ毎日下級生に集合かけてたよなぁ…」
私は聞いていて、「集合?なんじゃそら?集まって数学やってたんか?」何のことか全くわからなかったのである。他大学の奴らは、みなダッ〇ワイフのようにポカーンとしていた。
「おいおい、関学は集合なかったんか?高校はあったやろ?」
集合がかかってそんな雰囲気になるのは何故なのか、恥ずかしながらその時初めて知った。そういやあ我が高校の大先輩でアマチュア野球界の重鎮であるK大卒の人が「大学に入って、初めて集合と言われて何かな?と思って行ってみたら、ビックリした…こんな世界があるんやて思うた」と言っておられたな…そういう事だったのか…。
高校時代も大学時代も、殴られたという記憶が殆どない。ましてや集合なんて。
今から考えると、そんな余裕がなかったんじゃないか、と思う。
少人数ゆえ脱落者を出せない。全員が戦力にならないといけない。ちょっとでも練習しないと勝てない…。もちろんイジメとかいうのも、やる気持ち的な余裕さえなかった、という方が正解だった気がする。高校でも大学でもグランドでの緊張感は本当にすごかったが、そういう類の上下関係はなかった。

ああいうことができるのは、人数にも戦力にもやる事にも余裕があるからではないだろうか。
所謂強豪校でこの類の話が多い。我が母校(高校)も人数が多い時にはこの問題があった、らしい。
良い事だと思う人は少数でしょう。でも有名元プロ野球選手の、「PLはあれがあったから今の自分がいる。」という話を読んだことがある。「必要悪」だったのか?
そうだとしたら…

そういうのがなくて物凄く良かったという話を、大声でしてあげよう。