一徳さんの「文武は一徳!」

このブログは、酒・野球・女・本 この4つをこよなく愛する筆者が、ご縁あって伝統ある大阪八尾ボーイズの指導者を拝し、野球を愛する青少年及び保護者達の活力の一助になるべく、無責任極まりない内容でお届けするものである。コメントはご自由にどうぞ。

2021年10月

前回の「精神的に向上心のないものはバカだ 後編」に結構な反響をいただいた。

共感もあるが批判ももちろんあった。

要は、子を信頼して見守ってあげる、という事だが、むろん無関心とか放任とかではない

 

そもそも、子育てなど壮大なスケールの一大事業なのである。一人の人間を産んで、物心つくまで育てて、一人前にして社会に貢献させねばならんのである。

そこにカネと時間と労力と神経消耗が、どれだけ必要か。

失敗すると大変な事になってしまう。うまくいって当たり前。だってみんな経てきた道だから。

しかも、昔のように大家族ならオジイやオバアが助けてくれたであろうが、いまやそれを全く経験ない所から両親たった二人で、いや、場合によったらたった一人で始めねばならないのであるから、
こんな強烈に難しい、しかも責任重大な事業は、この世に他にはないのである。

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だから、色々な子育ての話を聞いて、迷ったり悩んだりする人はすごく多い。

塾なんかやってると、そんな相談まで受けたりする。

何やかや言っても、相手は一応「人」なので、その子の資質によっても対応もやり方も変わるし、もちろん一概これ、という正解はない。

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でも、である。色々な相談を受けてる中で気がついた。

ひとつ言えるとすれば、手をかけ過ぎるとえらい事になる、ということ。

甘やかすとよく言われるが、言葉が厳しいのを厳しいと勘違いしてる人の、多いこと。

いくら言ってる事が厳しくても、結局行動でその子の言う通りになってると、それは甘やかしでしかない。

厳しいとは、子供を困らせられるかどうか、という風に言い換えてもいいと私は思う。

だから甘やかしてはいけません。常に満足感だらけの者に、エネルギーは生まれない

むしろ劣等感、マイナス感覚への克服感がエネルギーを呼ぶ。劣等感やマイナス感があると、それを自分で満足させようとするので、なにがしかを考える。そうすると何かを感じるようになり、何かに気が付くようになる。

 しかし全てお膳立てして貰って満足感だらけなら、自分で自主的に満足しにいく必要がないので、何も感じる必要はないし気が付く必要もない。
 いつも自分がやるべき事を言ってくれるのだから、言われてから、それを言われるままやればいいので、自分で気づかなくても全く困らない。失敗してもその「言った人のせい」だもん。

 無関心かつ非自主性非主体性人間のいっちょう上がり、である。

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 「子を育てるのに、大人は目的・ビジョンを持つべし。」

立派な大人に口幅ったいが、言わば「自分の生き方に」である。

育て方に、その人の目的・ビジョンは当たり前だが大きく影響する。子は親の鏡とはよく言うたものであるが、逆もまた真なり。「親は子の鏡」でもある。

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前回の続きであるが、書きたかったのは、

向上心のないものは人間ではない、というより、もっと性善説に立って、

「誰しも向上心は根本的に持ってるものゆえ、子供も信頼して任せてやれば?」という事が言いたかったんですな。

 

 鳥のヒナにエサを与え続けると、そのヒナは自分でエサを取れなくなる というのはよく言われる。

釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ、とも言う。

向上心があるはずなのだから、やり方などは任せて、見守ってあげたらどうだろう。

見放すとか放任ではない。「見守る」のである。つまり自主性、ひいては主体性を育んであげましょうよ、と。

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 昔、硬式チームの指導者になりたての若き頃、入団直後の中1生の担当を拝命した。

先輩コーチは「ちゃんと指示してやらんと動かないし、コーチの存在意義がない」と言って、事細かく指示し、その通りにさせていた。カバンの置く位置や置き方まで。

だが選手たちは賢かった。コーチの言う事ゆえ聞く聞く、ふり。(笑)見事に面従腹背。

「言うてる事がコロコロ変わるし。ギャーギャー言うてるだけで中身ないもん。偉そうにしたいだけやし」。しまいにはあいつ呼ばわりである。

それを見てたので、私は真逆に「キミたちが私を動かして」と。

例えば、1年生ゆえ全体練習に入れず、「何やったらいいですか?」と問うて来た際の最初の私の言葉は「オレこそ何をやらせて貰いましょ?」。

しかし急にそんな事言われても動ける訳はないので、次に「これがチームの為になる、と思う事をやったらエエんちゃう?」

そしたら面白いですな。グランドのゴミ拾いや掃除をし出すやつ、バンバン勝手にティー打ち出して「オレがうまくなる事がチームのためや」と練習し出すやつ。まあ個性が出る出る。「トレーニングメニュー考えて下さい」と言ってきたやつには一緒に考えてあげた。

こういう風に、自分で考え出す。そして自主的、ひいては主体的に動き出す

 

そりゃシンドイですよ、そういう指導。だって「あれをせい、これをせい」と命令すれば簡単な所を、気が付くまで我慢せにゃならんのだから。間違ってたら修正せねばならぬが、それだって答えを言わず気づかさねばならない。全く忍耐力との闘いである。

 

結局は、選手が動かぬと試合は勝てない。ボールが飛んでいちいち指導者が「あれを捕れ、ここへ投げろ」なんて指示できる訳がない。選手が自分で感じて気が付いて自分で動かぬと、どうしようもないのである。いちいち指示してたら、負けると選手は「指示がなかったから…」って指導者のせいにしますぞ。

選手同士でワーワーやり合ってるチームは確実に強い。「コーチは黙っとって下さい!」って選手に言われた事、ありますか?

言われたら最初はガァアア~ン。すごいショックで泣きたくなってしまう()

でも、そんな事言い出す子供、頼もしいと思いませんか?

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 という訳だが、指導者を他の大人に置き換えてみても、当て嵌まらぬだろうか。

 

所詮中学生なぞ、背景も何もなくて見たままでしか判断も考えもできなくて、ちゃんと事の善悪や理屈はわかってるのに、感情だけは一丁前に持っているという、中途半端かつ厄介な生き物である。

そんな厄介なのを責任もって育てている保護者さんたちには、本当に頭が下がる思いであります。

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なぜかガァァーンとすごい衝撃を受けたのを覚えている。

高校時代、国語の教科書で夏目漱石の「こころ」を読んだ時の一節だった。

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」。いま見てもすごい事言うてるよね、これ。

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塾なんてやってると、というか当塾みたいに「成績優秀なのは来なくていい」なんて言ってると、中には全く勉強やる気のないのが入塾体験に来たりする。

まあ、そういうのの大半は保護者にほぼ強制で連れられてくるのであるが。

面談してて可哀想になってくるので、「おまえ、勉強したくないなら来んでエエよ。勉強せんでも生きていけるで」と言ってあげる。

「ええっ?やる気のないのをやる気にさせてくれるんじゃないんですか?」と保護者。

「いや、お母さんはちょっと黙ってて下さい。で、おまえどーすんの?」

「え~…でも行けって言うから…」

「なら来んでエエよ。そんなんで来たって他の子に迷惑やし、おカネもったいないし。ただね、勉強せんかったらどうなるか、これはそういう選択をした自分の責任やし、仮に来たって俺はお前を人間扱いはせんで。」

で、滔滔とその人間扱いしない理由を述べてあげる。
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 考えたら、向上心というのは人間しか持ち得ないものだ。

猿やイルカが芸を覚えると言っても、向上心からではない。エサが貰えるからである。今はもうないだろうが殴られたり蹴られたりが嫌だから、も、あったかも知れない。

ヒトだけだ。何も報酬がなくても、痛みが伴わずとも、今日より明日は上手くなっていようとか、できるようになっていよう、いい点が取れるようにがんばろう、とか考えるの。

つまり言い換えれば、「精神的に向上心のないものは、人間ではない」という事である。

平気で向上心を感じさせぬような発言や態度をとる者は、自ら「自分を人間扱いしなくていいです」と言っているようなものである。
これを高校生の国語の時間に、感じたのである。
ガァァーン
もちろん事あるごとに塾生に言っている内容でもある。

 

いや、こういう事を書きたかったのではない。

(書いてて怖くなってきたもので…)

でも長くなりそうなので、続きをこの次に…。

 

ちなみにそのやる気なしお君、結構ピリッと緊張感持って通塾してます(笑)。

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世の中、子供も大人もゲーム機あるいはスマホでピコピコやってるという光景は、見慣れたというか一種の強烈な信仰宗教じゃないか、と思うほど、現実の額縁に嵌まり切っている。

 

そして気がつくと、子がゲームから離れられなくなっていて、ゲーム中毒特有の凶暴性を発揮したり不眠症になったり、全くの無気力となったり。

いわゆるゲーム中毒は、厚労省で正式に「ゲーム依存症」という病気に指定された。「アルコール依存症」とかと同じである。ひどいと施設に入れられる。そのくらいの社会問題である。

あなた、他人事と言えますか?
(ちなみに、ゲームクリエイターは自分の子にはゲームをやらせない。なぜならプロのクリエイターが、プレイヤーが1時間程度で止められるようなゲームはプライドにかけて作らないので、確実に中毒になるのがわかってるからである)

 

さあ、何とかゲームから離れさせないと。良識ある保護者ならそう考えるだろう。

ありますよ、いい方法。今日はそれを伝授しましょう。

 

親がそのゲームばかりする子を、シッカリと自分の支配下に置いて、毎日こう言うのだ。

「ゲームしなさい!」と。

「今日はゲームをやったの?」

「ダメでしょ。勉強していないで、もっともっとゲームをしないと!」

「どこまで進んだの?ちゃんとゲームやってるの?」

「どんなゲームをどこまでやったか、表に書いて見せなさい!」
「そんなやり方じゃあダメでしょ!こういう風にやらないとダメ!」

「次のゲーム大会で何点以上取らないと、お小遣いなしよ!」

と。毎日顔を合わせるたびに、とにかく言い続ける。毎日親から言われる「ゲーム!ゲーム!ゲーム!」

かあちゃん

しかも、小遣いナシよ!と、罰則までもれなく付いてくる。

 

さすがに酒が生涯の素晴らしい友人の一人と思っている私も、毎日「酒を飲まなきゃダメでしょ」とか「何をどれだけ飲んだか、表に書いて見せなさい」、挙句は「小遣いなしよ」とまで言われて、それでもまだ飲もうという気力は、おそらく出てこないだろう。それはまさしく「地獄」ですがな…。

 

これ、なんか、違うところで同じ様な事言ってないだろうか…?

わかりますよね。ゲームを「勉強」に置き換えてみたら。

まさしく子どもを勉強嫌いにするパターンです。行き過ぎた管理によって嫌いになってしまうという。

野球でも、以前指導させて貰ったチームで本当にあった。親が野球させたくて必死過ぎて、子がヘトヘトになってついて来れなかったというパターン。さすがに我がチームではないか。

 

ゲーム嫌いにさせる方法…やってみる価値はあるかも知れない。しらんけど。()

じゃあ逆に、勉強を「やり過ぎるな!」「勉強禁止!」って言ったらどうなるでしょう???

これもやってみる価値は・・・あるかな?(笑)

 

ただし、
『酒がアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということを酒が暴く』と同じで、
『ゲームがアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということをゲームが暴く』
のだ、というのは、絶対認識しておくべきである。

だって素晴らしい友人である「酒」を、はたまた「ゲーム」を、悪者にしちゃあ可哀想じゃない。

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仕事柄、いろいろな所で「研修会」なるものがあって参加しているのであるが、毎回やはり新しい発見があるので、どの研修会に時間を使っても大変有意義に感じている。

それが自分の血肉になり、ひいては指導する野球選手や塾生、保護者などの役に立つことになるので、少々無理をしてでも、可能な限り参加することにしている。

きれいな妙齢の女性との出会いも、また楽しみなのである。無論ヘンな意味ではない。(じゃあどういう意味だろう…)

 

私立高校の学校説明会などもそんな一つだ。生徒の進学を考えたらやはり自分自身の目で見て自分自身の肌でその学校を感じておかぬと、それぞれ個性ある塾生たちに自信を持って勧められないし、入試担当の先生と仲良くなって、いろいろ相談に乗って貰えるような間柄になっておきたい。

そのためにこれも可能な限り参加することにしている。
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そのさる私学の塾対象の学校説明会の一つで、
「中学生の46
%が、将来が不安と感じている」

なんていう話を聞いた。

将来を不安に思わぬヤツなぞ、むしろ居るんかいな?なんて思って聞いていたのだが、

それがちょっと衝撃的な内容で。

 

その学校の担当者は、「だから我が校ではその不安を希望に変えるために、このような方策を進めています」というPRをされるのだが、その前段階の説明は以下のようなものであった。

 

いまの大人を見ていると、みんなすごく疲弊している。家で疲弊した家族を見、外へ出ると疲弊した姿で歩いている大人がわんさかいて、出会う人すべて元気も魅力もない。人に優しい社会なんて表面では言ってるが、現実は誤魔化しゴマカし、己が儲かればそれでいい的な行動が溢れ返っている。

さて、こういう大人たちを見てて、私らもああなるんかな、なんて思わぬわけがなかろう。

せっかく勉強して社会貢献しようと頑張っても、大変そうだし、疲弊しまくって結局目先の生活に追われてしまうのか…。

そりゃ不安になりますよね、ってな内容。

 

そうです。
大人がカッコよくないよ、という指摘を、この学校の担当者は直球で投げてきたのである。
塾の先生というオジサン・オバサンだらけの空間のど真ん中に。

 

やりやがったな。正直な感想はそうである。

確かに大人がカッコよくなくなっている。昔は石原裕次郎や渡哲也を代表みたいにして、大人がすごくカッコ良かった気がする。そりゃ全員が全員ではないけど。

忙しくてもその忙しさには、なにか芯の通ったものがあったような気がする。
大門了解

 子供たちは大人への階段を昇りつつある。そのゴール付近に実際に存在している大人の背中を、確実にしっかりと見つめている。

大人はカッコよくあるべきだ。
やせ我慢でも、そのやせ我慢がカッコいい。泥に這いつくばっても、その泥臭さがカッコいい。何でもいい。自意識過剰でも何かに一生懸命になって輝けてる、いや少しでも輝こうとしてたら、その姿はカッコよく映るのではないだろうか。
岩田鉄五郎

まあ、まずはお腹をへっこめようや、なんて言われそうですな…。

 

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