近頃だけの事ではないが、どうも言葉や行動の解釈が単調というか単純というか、極端というか、

そして過剰反応というか、そういう傾向が顕著になっている気がしてしょうがない。

 

もちろん相手を傷つける「暴言」や感情に任せた「暴力」がいいはずはない。むしろ唾棄すべき事である。
だが少し注意したら「暴言」あるいは「言葉の暴力」となり、指導のために肩を肩をとんと叩いただけで「暴力」となったり。

なんか、内容や背景なんて何も考えずになんでもひと言で片づけてしまってる事はないだろうか。

特にマスコミやSNSなんて最たるもので、あれはウケさえすればそれを書かれた人や読む人がどうなろうがどうでもいいし、読んだ人がどう取ろうがカンケーないという、大変無責任極まりないシロモノである。大新聞だってTV放送だってそう。

あんなものをまともに信じるなんて人、あなた絶対詐欺に引っかかりますよ。

 

親の愛情、というのもそうである。愛情と甘やかしは絶対に違うもののはずなのに、一緒くたにしてしまってる人のなんと多いこと。

前にも書いたが、子供はいま「修業中の身」なのである。

そんな修業中の者を甘やかしていいはずがないのだが、それを「愛情」としてしまうのである。

 

では愛情と甘やかしの違いって?それは簡単。近視眼的にモノを見るか長期的にモノを見るか、の違いである。

甘やかしは全く目先しか見てないので、目先子供が喜ぶことが優先になってしまう。何でも子に決めさせるというのは、大きな間違いを与えているのでは?という疑念を持った方がいい。

しかし愛情は、中長期的視野でその子が自立して歩んでいけるように、という事に主眼を置くので、たとえいま子供が泣くことがあっても、それが自立のために必要なら、あえて涙を呑んで試練を与える、という事になる。

さて、どっちが自立したいい人間に成長するでしょう?

 

色々な子を見ているが、概して言えるのは、「子は親の鏡」であり、「親は子の鏡」であるという事。

甘ったれてるなと思うようなのは、甘やかされて育ってるから、と言い切る。

生まれてすぐにその子の人間性が決まるのではない。多少遺伝はあるが、ほぼ環境が左右する、と言っていい。

 

「獅子は我が子を千尋の谷へ突き落す」という。まあそこまでしなくても、少なくとも「可愛い子には旅をさせよ」くらいは、してやるべきではないでしょうか。愛情があるなら。