努力、という言葉のイメージっていかがなもんだろう?

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一瞬きれいに聞こえる、気がする。

私のイメージだが、どうも自分から自主的主体的に好き好んでやる、というのではなく、やらなければならない、という強迫観念みたいなものから来てる、という気がする。

やってますよ感、と言うと言い過ぎだろうか。

 

以前に書いたように、私が現役当時の関西学院大学はほぼ出身高校が甲子園に縁のない公立進学校ばかりで、そりゃあ下手糞だった。でも試合はTV中継もあるし、新聞もスポーツ紙だけでなく一般紙もバンバン書いてくれる。当然だが勝負にスポーツ推薦有無などカンケーない。

不名誉はイヤだ。いやむしろ、だからスポーツ推薦のある学校に勝たねば、なんていうとっても楽しい事をチーム全員考えていたのである。

 

練習がしんどい?肉体的にではなく、精神的にシンドイ。毎日発狂しそうだった。

監督はほぼ平日は練習に来ないし、ややこしい事は一切何も言わない方だった。

でも選手たちの毎日の練習の緊張感がハンパない。上級生が厳しいので(野球に対して、ですよ)下級生はそこに居るだけで精いっぱいなのである。下手糞だからエラーする。誰かがエラーしたら何度でも反復でやる。何度でも。時間なんてカンケーない。下級生がエラーしたら上級生はすごい顔になる。当然雰囲気もすごい。恐ろしいプレッシャーだった。それだから上級生こそエラーしたら大変だった。

みんなに迷惑かけたくないので、個人練習も必死だった。寮などなかったので終電で帰った事も何度もあった。次の日1時間目の授業だと6時過ぎには家を出ねばならないのに。

それでも、自宅で振るのである。壁アテもやるのである。気がついたら夜が明けてた、なんて事も何度もあった。

 

友人が「お前の手相を見てやる」と言うから、「無理やと思うで」と言いつつ見せると、「なんやこれ!手相あらへんがな!」
マメが固まってて手相なんてあるはずがないのである。
素振りしてて手から血が出た、というとみんなでバカにしていた。マメが固まってるともうそれがグローブ状態で、血なんて出るはずがない。
 

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1か月3万本スイング、毎日甲山登り下り3往復。みんな一人一人が自分で自分に課していた。

400mトラックを100周競争(40㎞!)。もはや人工衛星である。
「それやって勝てるんか?」「わからん。けどやらんかったら負けるで」
もはや議論の余地などないのである。

 

でもね、これを「努力」なんて思った事はなかった。おそらく全員そうだと思う。聞いたことないけど。

やらなきゃ負ける。迷惑かかる。そんな強迫観念めいたものもいつか消え去っていた。

やるのが楽しい。やらないと気持ちが悪い。そんな感じだったかもしれない。

人から言われて初めて、それを他人が見れば努力と表現するんだと知った。

 

だから自分で「努力」なんて言うてるうちは、大した事はやってない。

ま、そんなもんですよ。勉強でも仕事でも。

しかし、勝てなかったねぇ…(笑)。タフにはなったけど。