世の中で「多様性」と言われてもう久しくなってしまった。
流行りのSDG`sでもあるように、もう多様性を容認するのは当然な時代である。
国籍や肌の色などの多様性なんて、我々の若い頃でも当然であったが、ジェンダーフリーなんて今の私にはもうビックリ。
「どっちでもない」なんて言うのがあり得るのや…と。
野球は男女分かれているのだが、じゃあどっちでもないのがフレンドに入会して来たら、どうするんやろ???
なんてちょっと心配になってくるのである。やりにくいやろなぁ…。

「多様性が議論される時代は終わりました。これからは『確実なる探求』の時代であります!」
これはショックだった。
もう多様性なんて、朝起きたら顔を洗うくらい当然なことで、
これからはその多様化した其々を深く掘り下げる、そういう時代なんですと。
考えたらそうである。いくら多様化しても表面だけ、ジャンルだけで中身がない、なんて、
クリープを入れないコーヒー、餡のない桃林堂のもなか である。

これなら多様化をいくら認めてもあまり意味がない。
探求型。多様化した其々のジャンルの中で、自ら考え、何とかする力
⇒自分を知る事で自分を信じられるようになる。

自分らしく生きる力。
それをシッカリ追求していかねば、従来の感覚や常識しか持ち合わせぬと、今後の複雑怪奇な社会は、生きていけぬ事になるような気がする。
ボーっと生きてんじゃねえよ!ってのは当たり前なのである。

偏差値や甲子園より、あなた自身の世界を創れ!
それには保護者は、子供を「信じて任せ、自立させる」ことである。

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