前回の「精神的に向上心のないものはバカだ 後編」に結構な反響をいただいた。
共感もあるが批判ももちろんあった。
要は、子を信頼して見守ってあげる、という事だが、むろん無関心とか放任とかではない。
そもそも、子育てなど壮大なスケールの一大事業なのである。一人の人間を産んで、物心つくまで育てて、一人前にして社会に貢献させねばならんのである。
そこにカネと時間と労力と神経消耗が、どれだけ必要か。
失敗すると大変な事になってしまう。うまくいって当たり前。だってみんな経てきた道だから。
しかも、昔のように大家族ならオジイやオバアが助けてくれたであろうが、いまやそれを全く経験ない所から両親たった二人で、いや、場合によったらたった一人で始めねばならないのであるから、
こんな強烈に難しい、しかも責任重大な事業は、この世に他にはないのである。
だから、色々な子育ての話を聞いて、迷ったり悩んだりする人はすごく多い。
塾なんかやってると、そんな相談まで受けたりする。
何やかや言っても、相手は一応「人」なので、その子の資質によっても対応もやり方も変わるし、もちろん一概これ、という正解はない。

でも、である。色々な相談を受けてる中で気がついた。
ひとつ言えるとすれば、手をかけ過ぎるとえらい事になる、ということ。
甘やかすとよく言われるが、言葉が厳しいのを厳しいと勘違いしてる人の、多いこと。
いくら言ってる事が厳しくても、結局行動でその子の言う通りになってると、それは甘やかしでしかない。
厳しいとは、子供を困らせられるかどうか、という風に言い換えてもいいと私は思う。
だから甘やかしてはいけません。常に満足感だらけの者に、エネルギーは生まれない。
むしろ劣等感、マイナス感覚への克服感がエネルギーを呼ぶ。劣等感やマイナス感があると、それを自分で満足させようとするので、なにがしかを考える。そうすると何かを感じるようになり、何かに気が付くようになる。
しかし全てお膳立てして貰って満足感だらけなら、自分で自主的に満足しにいく必要がないので、何も感じる必要はないし気が付く必要もない。
いつも自分がやるべき事を言ってくれるのだから、言われてから、それを言われるままやればいいので、自分で気づかなくても全く困らない。失敗してもその「言った人のせい」だもん。
無関心かつ非自主性非主体性人間のいっちょう上がり、である。

立派な大人に口幅ったいが、言わば「自分の生き方に」である。
育て方に、その人の目的・ビジョンは当たり前だが大きく影響する。子は親の鏡とはよく言うたものであるが、逆もまた真なり。「親は子の鏡」でもある。